言い訳と理由の境界線を考える
日本人の間で「ベトナム人は言い訳が多い」とよく言われていますが、日系企業で勤めているベトナム人からこんな質問がありました。
「言い訳と理由の違いは何ですか。」
ベトナム語でもその2つの言葉はありますので、彼ももちろんその定義を理解していると思います。しかしもっと日本人の感覚的な部分を知りたいということの意図だと思われます。
彼の上司である日本人からは同じ内容でも時には理由とみなされ、時には言い訳とみなされるようです。具体的な実例を挙げると、勤務時間に遅刻した際に「渋滞」を理由とみなされることもあれば「言い訳」とみなされることもあると言います。
日本人の場合はどう考えるでしょうか?
例えばその彼が日頃遅刻することがなくたまたま渋滞で遅れた場合、ほとんどの日本人は「きっとひどい渋滞だったんだろうな」とか「予想外の渋滞があったんだろうな」と思うかと思います。一方よく遅刻している場合であれば「渋滞を見越して早く家を出ろ」と思うんじゃないでしょうか。前者の場合は理由になりますし、後者の場合は言い訳とみなされると思います。
少しざっくりした言い方になりますが、感覚的にすんなり納得できるのであれば「理由」になるでしょうし、納得いかなければ「言い訳」ととらえられるような気がします。しかし日本人とベトナム人では感覚的に納得できる境界線が違うので、今回のようなカルチャーギャップが生じやすいのかと思います。もし部下のベトナム人が「言い訳」と思われるようなことを正当な「理由」であるかのように主張している場合は、頭ごなしに怒るのではなく少し時間を作ってじっくりと教える必要もあるでしょう。
ただこういったギャップもお互いのコミュニケーションがしっかりとれていれば解消できるケースが殆どでして、ベトナム人も案外日本人(直接関わる人)のことをよく観察しています。なのである程度長い付き合いになるとお互いにタブーラインが確立されてきますので、こういったことに悩まされる機会も減ってくると思います。
ただしスタッフの入れ替わりが多い職場では入れ替わりごとにまた一から作っていかなければならないのが大変なところ。そんなときには既に旧知の仲であるベトナム人スタッフが新人に対してタブーな部分を都度指導してもらえると大変助かります。そういった教育係のようなスタッフを自分の手元に置けるかどうかも、また組織編成の中で重要な要素になると言えます。