日本のニュースを見て考えさせられること

日本の事件を見ていると今の日本社会が抱える問題について思考をぐるぐるさせることがあります。日本では無差別殺人などの事件が時々起こりますが、こういった類の事件が日本で起きればベトナムでも報道されます。犯人の動機として「誰でもよかった」など直接的な恨み怨恨がない相手を殺害するという行為には、ベトナム人の間でも「???」な反応になります。もちろんベトナムでも殺人事件は起こりますが、全く関りのない人を殺害するという事件は聞きません。殺害された遺族の気持ちを考えるといたたまれなくなります。

 

また最近では親の年金で生活する中年の話もこちらで報道されていました。「8050問題」などと言われて久しいですが、これもやはりベトナム人にとっては中々理解しがたいようです。ベトナムでは一般に健康な人の引きこもりということがありません。むしろ子どもが年老いた親を養うというような家庭のほうが多いので、余計に理解に苦しむのかと思われます。

 

日本の生活水準は間違いなくベトナムより高いですが、こういった現実があるということには色々と考えさせられます。新興国で生活をしたり旅行をしたことがある人は多かれ少なかれ感じたことがあるかもしれませんが、金銭的に貧しい人でも裕福な人より楽しそうに生きている人はたくさんいます。最低限の衣食住に足りていない人でも一般の生活水準の日本人より幸せに生きている人はたくさんいるように思われます。

 

国民の幸福度は経済レベルに必ずしも比例しないというのも頷けます。何をもって幸せかは個人の価値観に依るものですが、必ずしもお金がその幸福度を左右するものではありません。もちろんお金はあるに越したことはないものです。しかしそれによって求める基準が際限なく高くなるという側面もあります。

 

ベトナムの経済は右肩上がりで国全体としての生活基準は間違いなく上がっています。将来的に経済分野で今の日本と同じ道をたどるのかは分かりませんが、国民の考え方や人との関わりの在り様についてどのように変化していくのは興味深いところです。

 

 

ブログ一覧へ